
BTSの生みの親として知られており、韓国の大衆音楽界をリードしてきたベテランプロデューサーです。米ビルボードの「International Power Players」に2年連続選出され、2022年4月には米TIME誌の表紙にも登場しました。

エピソード
「夢ではなくて不満が活力源」
パンシヒョクのエピソードとして、本人がソウル大学の卒業式典で語ったスピーチが面白く、興味深かったので掻い摘んで、触れようと思います。
大学選びは、本当なら法学に進むはずでしたが、浪人を避けるために「浪人は縁起が悪い」とこじつけて、ソウル大学の美学科に進んだという。(ソウル大学にストレートで入れるのも凄いのに、ネタのように話すのがユニーク。大学時代は音楽を忘れるほど、美学を楽しみ、元々好きだった卓上空論にのめり込んだようです。)
その後、なぜ音楽プロデューサーになったかは覚えていないというパンさん。中学時代から海外の音楽を好んで、取り憑かれたかのように音楽をしていたそうです。PDしていたらパクジニョンさんと知り合います。そしてJYPを一緒に立ち上げたそうです。(なんでしょう、決断とか迷いとか分岐という言葉が後付で、環境に流さつつ新たな展開へ向かう、特別感がないので理由が思い当たらない、記憶にない。そんなふうな話しぶりでした。そして現在HYBEになった今でも、JYPとは繋がりがあります。喧嘩別れとかではない独立ですね。)
誰もがBTSを育てた歴史を見ると、野心家で革命家と想像するのだろうけど、彼が持っていたのは常に不満だったといいます。この「不満」は「妥協への不満」と聞こえてきます。「これくらいでいい」とか「面倒」とか「迷惑をかけるから」とか様々な理由で誤魔化すことに憤りを感じるようです。最善が何かをわかっていながら、行動しないことがパンさんの怒りで「不満」だったようです。
音楽産業においても同じで、不正や悪習慣などについても語っていました。音楽がグローバル化しても、業界が称賛されても、社会的には冷遇されていることにも憤りを感じているようでした。そして自分が納得できず自分自身が不幸だと感じることとには、怒り闘い続けることが原動力、だからこそ些細な日常が大切でそこに最善を尽くす努力をすると話していました。
パンさんのお話を聞きながらもバンタンの姿が思い浮かびます。彼らのステージの妥協のなさ、音楽の追求、これらが全てパンさんの姿勢に繋がってるんだと私は常々感じています。(あくまでも主観です)
また外の世界にも目を向け、関心を持ちましょう。そして自分と周りには愛情を持ち、寛容でありましょうと素敵な言葉も残してくれました。(このお話は2019年のものですが)この話を聞いてから数年がたちました。あらためて内容をみかえすと、最近のKPOPにも、影響かな?良い風潮が入り込んでるように感じています「KPOP7年契約の壁」も乗り越え、更新したチームが増えたのも、その1つでは?こうやってパンさんを筆頭に彼らの日々努力が、KPOPの、人々の、何かしらの変化に関わっているんでしょうね。
まだまだ兵役問題や、防弾会食でのナムが話した「成長しにくいシステム」などの課題もあるでしょうけど、こういうこともパンさんの不満のひとつではないかと感じてしまうので、彼らの幸せの追求と同じくして見守っていきたいです。

書面インタビュー記事
