BTSを語るソンドゥク先生とピドックPD

朝鮮日報の記事にBTSを絡めたソンドゥク先生とピドックPDのインタビューがありました。簡易化してBTSの話だけを纏めてあります。全てをお読みいただくにはリンクをご利用ください。

ピドックはこうやって撮ったんですか?」ハイブトップ振付師ソンソンドゥク(左)は、友人で同僚のハイブトップPDのピドック(右)の写真の中のポーズを見て、「ダイナマイト」のポーズを取った。 「BTS」を作った1983年生まれのハイブ開国功臣であるこの2人は、海外を行き来する忙しい日程のため、ソウル龍山区(ヨンサング)にあるハイブ本社ビルの5階でそれぞれ撮影した後、写真を合成した。

ここに1983年生まれ、同い年の2人の男がいる

一人の男は小学校の時から声楽をしていた。 両親の期待に合わせて芸術中学·芸術高校に行き、安定的な働き口を得るために師範大学に通った。 このまま卒業したらクラシックの音楽教師になったはずだ。 しかし一番好きだったのはヒップホップ。 幼い頃から時々作曲しながら機会をうかがっていた。

もう一人の男性は、小学校の時からダンス一つだけを眺めて直進した。 ヒョン·ジニョンの「曇った記憶の中のあなた」の舞台を見て踊りの魅力に陥り、特技自慢に出て公演をした後、舞台に立つ面白さを知ってしまった。 その時から高校を4回も移し、ダンサーの道を歩んだ。

各自の人生を生きていた2人はある日、バン·シヒョクに会い、この3人が意気投合して作ったグループがBTSだ。 前者はハイブメインプロデューサーであり作曲家で、「春の日」「小さなもののための詩」「DNA」「血、汗、涙」などBTSの大部分のヒット曲を作ったピドック(カン·ヒョウォン)、後者はハイブメイン振付家でありパフォーマンスディレクターで「春の日」「アイドル」「血、汗、涙」「DNA」などBTS振付を作ったソン·ソンドゥクだ。 パン·シヒョクの最高側近で、パン議長がBTSの父親なら、ピドックは母親、ソン·ソンドクは叔父と呼ばれる。

「ハイブ83’s」とも呼ばれる2人が最近再び集まった。 ハイブ独自オーディションである「アンドオーディション-ザ·ハウリング」審査のためだ。 BTSこのチャプター1の幕を閉じた今、彼らはアンオーディションでBTSの後継者を見つけることができるだろうか。 最近、ソウル龍山区ハイブ本社で彼らに会った。※「エンオーディション-ザ·ハウリング」については、記事一覧からお読みください。

第2のBTSを探しているのか?

ピドック

「実はネクストBTSというのは意味がない。 BTSがデビューして10年近く経った。 当時と比べてアイドル市場も世代も時代も変わった」

ソンドゥク

「私はオーディション参加者だけでなく、他の知人にも『どんなアーティストになる』という言葉は意味がないと話す。 ある基準を与え「お前は少なくともあの程度にならなければならない。 アルバムはいくら以上売らなければならないし、ある公演場で公演できなければならない、そうしないと、あなたたちは成功したんだ」と話したりしないでしょう。 ただ、この子たちが真剣に音楽をし、舞台でパフォーマンスをし、彼らの舞台によって幸せなエネルギーが大衆とファンにちゃっと伝わることを願う、それだけ」

エンオーディションで最も重視することは?

ピドック

「デビューが確定してる(4人の)メンバーとの調和だ。 実力も実力だが、踊ったり歌を歌った時に一番ハーモニーの良いメンバーを探すことだ」

ソンドゥク

実は、これはBTSを作る時と似ている。 その時もRMというデビューが確定したメンバーがいて他のメンバーが追加で選ばれ、グループが作られた私も従来のメンバーとよく交わることができ、シナジー効果を出せる人をオーディションで探す。 才能よりは可能性を多く見る」

可能性というのが目に見えるかな?

ピドック

「確信が持てる友人がいる。 友人のラッパースリーピーにRMを紹介された時がそうだった。 当時RMはやっと高1だったが、「この年齢でこのような声の色を持っていながら、曲もこんなに上手なの?」という気がした。 そこで、バン·シヒョク議長に紹介した。 「この子は何か舞台で確実に人々の目を引くだろうな」という感じを与える人たちがいる。」

ソンドゥク

「当然見える。 性格からも、行動することからも見える。」

性格みたいなものかな?

ソンドゥク

「そうかもしれない。 ところが、性格が良いからといって可能性が無条件にあるわけではない。 言葉遣いや行動から人を気持ちよくする魅力が感じられる人たちがいる。
BTSのジョングクが代表的だ。 持っているものがとても多い子だったが、初期には幼すぎて歌やダンスが上手ではなかった。
ビッグヒット(ハイブの前身でBTS所属事務所)初期、私たちが本当に大変だった時期だが、バン·シヒョク議長はヒップホップ音楽をするためには米国を知らなければならないと7人のうち1人だけ連れて米国に行ってこいと言った。
その時、私はジョングクを連れてアメリカに行った。 2人が1ヵ月間民宿に泊まりながら音楽スタジオにも通い、米国人の文化を経験した。 その後、本当に潜在能力が爆発した」

「エンオーディション」を見たら、2人とも毒舌がなかった。

ピドック

「みんな期待以上に上手で、ハハ!」 どんなに苦労して作った舞台なのかよく知っていて、実際によく準備してきたので、『きついことを言わなきゃ』と決心しても仕方がないほどいい言葉が出てきた」

ソンドゥク

「毒舌は本当に気が気でない時にするものだ。 毒舌でトレーニングをさせた時代も過ぎ去った。 これからはこの子たちにどうすればいいのか、なぜしなければならないのか、問題意識を投げ続ける方式のトレーニングが必要だ。 最近の練習生には徹夜の練習をさせない。 他の練習生と比べて足りないと思ったら自分でやるシステムだ。 もちろんBTSには毒舌もたくさんして、厳しく練習させた。 BTSこれがその最後の世代になるだろう

パン·シヒョク議長とはどう会ったのか

ピドック

「大学に通っていた時だ。 学校に通いながらもヒップホップ音楽がしたくて、一人で曲も作ってラップもしながら趣味生活をしていた。 そうするうちにパン·シヒョク議長が運営するインターネット作曲カフェに加入することになった。 加入してカフェに数曲載せた。その曲を見たバン議長から連絡が来た。 「ソウルで本格的に音楽をするつもりはないか」と。 それで大学を退学してすぐソウルに戻った」

ソンドゥク

「軍除隊後『もう舞台に立つより誰かを教えてみたい』という気がした。 その頃、同じ振り付けチームにいた同僚がパン議長を紹介し、当時練習生だったエイトとバナナガールを教えることになった。 ビッグヒット社員が数人しかいない時代だが、パン議長は私を気に入ったのか「これからは世界的なミュージシャンを作りたい。 一緒にやらないか」と提案された。」

音楽がやりたくなくなった時、どう克服するか

ピドック

「作業室に座って出るまで続けるスタイルだ。他の作曲家のように、インスピレーションを受けて数分で書いたことはなかった。 一曲作業するのに牛骨を煮るように長い間作業する. 一曲得るために平均30~40曲作業する。 最も長く作業したのがBTSの「FIRE」で1ヶ月ほどかかった

一番愛着のある曲は?

ピドック

「『I Need U』 BTSの初地上波1位の曲でもあり、大衆にもBTSというチームを明確に知らせることができた曲。 この曲を作る時、精神的にもキツかった。 思ったより成果が出ないため「私には、このチームの音楽は無理ではないだろうか」という悩みをたくさんした時期だった。 それだけに、初受賞を見て「やった!」と、 鳥肌が立った。 私たちは拍手をして。」

ソンドゥク

「デビュー曲『ノー·モア·ドリーム』。 その時からBTSと私の歴史が始まった」

こちらは、初 の’Artist Of The Year’をBTSが獲ったときに、ピドックさんがスローラビットさんの大泣きを撮影したもの。日ドックさんの言葉を読んで思い出しました。きっと皆んな涙してたんだろうね。

こちらは賞レースではなくて、THE SHOWで一位を撮った時のソンドゥク先生のインスタ。友人が遡って見つけて来てくれました。スタッフの本気の喜び方で、画面も揺れています。

BTSはどうやってワールドスターになったのだろうか。

ピドック

「音楽が大好きなだ。 ツアーの時も飛行機の中で一人作業し、ホテルの部屋でもずっと作業している。 それは誰かに言われたからしている訳ではではない。 彼らから「これをしたい」と話す。 メンバーごとに音楽に対する欲が大きいので、僕も刺激を受ける。そんな要素が大衆に真剣に近付いたようだ。 一方では議長の力も大きい。 メンバーたちが練習生の時からパン議長は「自分が体験している話は自ら解決しなければならない」ということを強調した。 そして絶えず「僕たちは何者でもない。 特別なわけでもない。 もっと謙虚でなければならず、もっと一生懸命努力しなければならない」と話し続けた。 ただ言うだけでなく、本当の信念だった」

ソンドゥク

「毎アルバムをする度に、バン議長は『今回は本当に全部やり切らなければならない』と基準値を引き上げる。とても欲張りで、 几帳面で、完璧主義者だ」

BTSが、完全体の活動を減らし、ソロ活動を増やすチャプター2。 前もって相談はあった?

ピドック

「作業する時、個人的に会った時、いろいろな話をしたことがある。 メンバー各自それぞれがやりたい音楽の世界が明確だから。 チームとして引き続き原動力を持つためには、個人が中心となって音楽的にもアイデンティティがなければならない。 そうしてこそ、また集まった時にもっとシナジー効果が出るし。 チャプター2という言葉が大げさで、自然に流れる過程ではないかと思う」

ロ活動の最初の走者がジェイホープ

ピドック

「ホビは長い間、一人で作ってきた。 今回のアルバムに私が曲をたくさん書くことはできなかったが、全般的なプロダクションやクオリティ管理は一緒にした」

ソンドゥク

「ジェイホープ以外は、元々ダンスをしなかったメンバーに高難度のダンスの練習をさせたんですが、毒舌もたくさんで、本当に厳しく練習させた。 それでもついてきてくれたことが、とてもありがたい。 その時その時代の厳しさが今でも刺激になり、土台になる。 寝る時間、歌の練習をする時間を除いては、すべてダンスの練習だった」

BTSで一番感動的だった瞬間は?

ピドック

「アルバムごとに成長する姿を見せてくれる瞬間瞬間!」

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